仁丹(じんたん)

仁丹トピックス《No.005》広告費は
南極探検隊3個分⁉

 明治38(1905)年の「仁丹」発売当時から、創業者森下博は「新聞に全面広告を連続して掲載する」という広告戦術をとりました。そのため、「仁丹」の広告は1年を通し怒涛のように新聞紙上をにぎわしました。正月、花見、梅雨、猛暑、秋の行楽など、いかなるシーンにも「仁丹のご用意を」と謳ったのです。
 さらに「仁丹」の広告は新聞紙上にとどまらず、全国の薬店には突き出し看板がつけられ、大礼服マークは薬局の目印にまでなりました。また、鉄道沿線の野立看板、屋外広告、上野・浅草をはじめとする大広告塔、京都の街に今も残る町名看板など、人目につくあらゆる空間に大礼服マークを設置し、「仁丹」の名は世に広まったのでした。
 もちろんその広告費は膨大なもので、明治43(1910)年の雑誌「日本及日本人」には、「広告費は年額12万円と噂されているが、果たして真ならば、白瀬(注:白瀬のぶ陸軍中尉のこと)の南極探検隊が3個組織さるる」という投書が掲載されるほどであったということです。
出典:生薬の「仁丹」生誕100年記念委員会発行 仁丹物語

※掲載の広告は森下仁丹の歴史に基づいて記載したものであり、現行製品のものではありません。

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